死にたいといわれるとなんと返していいか困るっていう話

タイトルに悩んで「the word 死にたい」とかにしようとか考えてたら「the」で「てぇ」となることを初めて知りました。これでてぇてぇってすぐ打てるね、てぇてぇてぇてぇ。

タイトル以上のことはなくて、死にたいって言われたら僕はすごく困ってしまうという話です。

世の中には、生まれたときからそう言い返すようにプログラムされてるのか?ってくらい生きろって言う人がいるのですよね、そう言う人って優しいのか優しくないのかわからんのですが、少なくともその人の事を考えた返事ではないよなって。

というのも、人には人の乳酸菌という言葉があるように、その人にはその人なりの死にたい理由があるわけですよ、例えば両親が大量の借金を残して逝ってしまって、天涯孤独だしとてもじゃないけど生きていけないとか、あるいは将来が不安すぎて生きたくないとか、そもそも生きることに意味を見出せないとか、適当に思いついたのを列挙しましたけど他にも多分いっぱいあるんだと思います。

で、まぁその死にたい理由も聞かずに安易に生きろって返すのって、場合によっては生き地獄を味わえってことになっちゃうんですよね、僕も人間ですからそんなことをわざわざ勇気を出して(かどうかは知りませんが)「死にたい」だなんて言ってきた人間にとてもじゃないですが言いたくはないわけですよ。

逆にじゃぁ死んだら?って言えるわけないじゃないですか、僕だってそりゃ相談なりなんなりを受けながら「こりゃ死んだ方がましなんじゃないかな」って思うことだってありますけど、半端なやさしさを持ってる僕ですから、そんなことを言えるはずもなくですね、こういう時言えるひとが優しかったりするのでしょうか。

この問題をさらに複雑にするファクターとして相談してきた人の意志もあるんですよね、ほら、よくあるじゃないですか、アドバイスとかしなくてもいいからただ聞いてほしい話とか。そういう話かもしれないなとも思っちゃうわけですよ。

 

死にたいって生きるストレスが死ぬことで受けるストレスを超えたときに感じるみたいな文章どっかでみたんですよね、それだったら死んでしまったほうが本当は僕は良いと思うんですよ、ただそれを口にする勇気が僕にはなくて、かといって無責任に生きろだなんて、もっと言えなくて。それだけの話なのかもしれないですね。

真剣に問題解決に取り組むなら、環境改善、つまり生きることで受けるストレスを減らすよう努めるのが多分良いんでしょうけど、僕が努力したところで解決できない問題なんてごまんとあるわけで。

なんというか、この辺りに人間の限界というものをたびたび感じてしまいます。